歴史から見る、チョコレート6つの楽しみ方

愛されて2000年以上。チョコレートの歴史を知っていますか? チョコレートの歴史を見ると、チョコレートのたくさんの魅力に気づけます。 チョコレートが食べられはじめたのは、なんと紀元前から。 そして、その楽しみ方は、時代によって様々に変化しています。 ときには薬として飲まれたり、ときには政治結社を育んだり、ときには子供に愛されたりと、 多種多様な楽しみ方をされてきたのです。 今回はそんなチョコレートの歴史をご紹介します。  

紀元前:身近な食べ物・飲み物

チョコレートの原材料、カカオは、少なくとも紀元前から食べ物として扱われていました。 そのことは、カカオの原産国、中米・南米の出土品をみることでわかります。 カカオに関連する古代の出土品や資料は以下のものが発見されており、 古くからカカオが食用にされていたことがわかります。
  • 紀元前の出土品の表面にカカオの文字が刻まれている
  • 2世紀ごろの文字で記された神話で、カカオを食べる神々が登場する
  • 5世紀ごろに使われていた、「カカオ飲料用」の壺が出土している
  • 8世紀ごろに使われていた壺の表面に、当時の王族がカカオの壺とともに描かれている
さらに、これらの地域で発生した、オルメカ文明、イサパ文明、マヤ文明を研究すると、 カカオが人々と密接なかかわりを持っていたことが推測されます。 古くからこの地に住む人々の言葉の中に、『カカオ』という言葉が使われていたり、 語り継がれている神話の中に、カカオが登場したり、といった具合です。 いつから、どのように、チョコレートが食べられていたのかは、推測するしかありません。 多くの科学者とチョコレート・ファンが、今も研究を続けています。

??~15世紀:王族の漢方薬

15世紀、中米を訪れたスペイン人の記録によると、チョコレートは漢方薬のように扱われていたことがわかります。 当時中米にあった王国、アステカ王国の王様モンテスマは、 チョコレート(当時はカカオと呼ばれている、液体でした)を、『女と交わるために飲むもの』と言っていたそうです。 つまり強壮剤としてチョコレートが飲まれていたんですね。 アステカ王国の人々は、王国周辺に生えるの植物の中から、体に有用な植物を見つけて、使いこなす知識を持っていました。 たくさんの植物を使ったり、食べたりして、「この植物は体にいい効果がある!」という発見をして、後世に語り継いでいくのです。 長い歴史の中でその知識が蓄積され、病気を治したり、健康を保つために活用されていました。 ちょうど、中国で漢方が発達していくのと似ていますね。 このアステカの薬学の知識は、中世のヨーロッパの医学をしのぐものだったともいわれています。 じつは、チョコレートには、カフェイン、テオブロミン、ココアバターといった、薬理成分と栄養分が入っています。 カフェインやテオブロミンには、頭を覚醒させる効果が、ココアバターには体を動かす原動力になる効果があります。 アステカの人々はこれらの効果を見つけて、漢方のように扱うようになったと考えられます。 最近、カカオ豆を砕いたカカオニブがスーパーフードとして注目されていますが、 その効果は、何百年も前からアステカの人々に知られていたのですね。

16世紀から17世紀 :『映え』る薬

15世紀、中米を訪れたスペイン人は、そこで出会ったチョコレートをヨーロッパに持ち帰ります。 ヨーロッパに渡ったチョコレートは、はじめは『薬』として、 そして、時がたつと、『映える飲み物』として愛されるようになります。 スペイン人がチョコレートを持ち帰ったのは、15世紀中と考えられています。 このとき、『現地の王族が気付けに飲んでいる飲み物ですよ』と伝えたためか、 ヨーロッパではチョコレートが『高価な薬』として浸透して行きました。 当初、チョコレートは熱冷ましなどの目的で医師が処方するものでした。 非常に高価だったため一般の人々に処方されることはなく、 貴族や王族など限られた身分の人だけが飲める薬でした。 そのうち、貴族の間に、ある気持ちが生まれてきます。 それは、「高価で貴重で、しかも美味しい薬なのだから、一人ではなく誰かと一緒に楽しみたい」という気持ちです。 現在の私たちも、ごちそうが手に入ったら「一人では食べるのがもったいない!」と思って、誰かを誘って食べることがあるでしょう。 同じように、チョコレートは客人をもてなすために使われ始め、社交の場に登場するようになります。 1640年頃には、あるスペイン人侯爵の主催するパーティーでチョコレートが出されています。 ちなみにこのチョコレート、ある婦人がうっかりこぼしてしまって、ドレスを汚してしまいました。 このエピソードは、チョコレート専用の食器「マンセリーナ」開発のきっかけとして有名です。 「マンセリーナ」は、チョコレートを入れる容器と、ヘリが高いお盆がセットになった食器です。 この「マンセリーナ」は貴族の女性たちによって、どんどん美しく、豪奢なデザインへと変化していきます。 チョコレートが高価な飲み物だったため、美しい食器こそがふさわしいと考えられたようです。 今でいう、「せっかくのご馳走だから、いいお皿をだそうか」という感覚でしょうか。 次第に、チョコレートは華やかに楽しむのがお決まりとなっていきました。 チョコレートは美しい食器や、きらびやかな砂糖菓子とともにテーブルを彩ります。 完璧なテーブルを用意し、お客さんを招待し、チョコレートを食べる喜びをシェアする。 それが、貴族の女性たちの嗜みとなっていたのです。 貴族の女性たちの『チョコレートを愛する気持ち』はとても強いもので、 ポルトガルの宮殿では、チョコレートを飲む時の演出を担当する「ショコラテイロ」という役職まで設けられていたそうです。 現在、ご馳走を食べる時に、綺麗な写真を撮ってSNSでシェアする方が多いと思いますが、 それとよく似た楽しみ方が、300年も前に始まっていたんですね。

16世紀から17世紀:文明人の飲み物

チョコレートが宮廷で優雅に楽しまれていた同じころ、 イギリスでは市民層にいち早くチョコレートが広まっていきました。 16世紀から17世紀にかけて、イギリスで大流行した「コーヒー・ハウス」がその舞台です。 コーヒー・ハウスは、比較的裕福な市民が集まり、コーヒー・紅茶・チョコレート・タバコ等を楽しむ場でした。 このコーヒー・ハウスは、イギリスの歴史上、重要な役割を担います。 商業関係者・保険業者・さらに政治結社までもが集まるビジネスの場として働いていたのです。 当時のコーヒーハウスは複数の大きなテーブルが置かれていたので、 顔見知りが集まり、意見交換をしあうのに適した環境でした。 最新の知識を持ち寄るビジネスマンが集まり、商談や情報交換に勤しむ場だったのです。 さらに、今で言う政党のような団体が、集会の本拠地として使うこともありました。 例えば、『ココアの木』という名前のコーヒーハウスは、ホーリー党という政党が会合の場として使っていました。 このホーリー党は、1688年に名誉革命と呼ばれる革命を成功させます。 この革命の結果、イギリスでは王権に対抗する『議会政治』が始まりました。 『議会政治』は多くの人が政治について議論ができる先進的な仕組みがで、現代まで続くものですが、 その議会政治ができる裏側に、チョコレートがあったのですね。 なぜ チョコレートがビジネスマンや政治家に好まれていたのでしょうか? もしかしたら、チョコレートが持つ強壮効果によるものかもしれません。 チョコレートに含まれるカフェインやテオブロミンは、頭をすっきりと覚醒させる効果があります。 さらに、ココアバターは栄養が豊富で、エネルギー補給にはうってつけです 今でも仕事の合間にチョコレートをつまむ人がいると思いますが、 新しいことを始めようとするには、チョコレートの強壮効果がぴったりなのかもしれません。

18世紀から現在:薬からお菓子へ、お金持ちから労働者へ

次第に、カカオの生産量と消費量はどんどん増大していきます。 カカオの生産量が増大すると、チョコレートの価格が下がっていき、低所得者でも飲める環境になって行きました。 そして、『薬』というイメージがなくなっていき、『お菓子』というイメージが強くなってきます。 17世紀から18世紀にかけて、カカオの消費量は何十倍にも増えていきます。 カカオの輸出入にかかる税金が撤廃されていったことと、中南米の農園が整備されていったことがその理由です。 なぜそのような動きが出てきたかと言えば、「チョコレートは人気がある」ということに多くの人が気づいたからでしょう。 人気のあるチョコレートを扱って一儲け、と考えた人たちが、税金の撤廃や農園の整備、製造体制の強化を進めていったのです。 1710年、パリのカフェでもチョコレートが提供され、『神々の飲み物』と呼ばれるほどの大ヒットに。 オランダでは、1701年から1755年の50年間で、カカオの輸入量が100倍になったそう。 ヨーロッパ各地で、チョコレートはどんどん普及していきました。 普及につれて、チョコレートの『形』はどんどん変化していきます。 1700年代までは、ドロドロとした飲み物だったチョコレートは、 1800年代からは『ココア』として普及していきます。 『ココア』は、チョコレートから油分を取り除いたもので、口当たりがさらっとして飲みやすくなりました。 1876年には、スイスで『ミルクチョコレート』が開発されます。 ミルクチョコレートは、2つの点で画期的な発明でした。 ひとつは、チョコレートを固形で楽しめるので、持ち歩きがしやすい点、 もうひとつは、ミルクが加わることで、味がまろやかに、食べやすくなる点です。 ミルクチョコレートが開発されたころになると、カカオの価格と砂糖の価格がとても安くなっていきます。 さらに、産業革命がおこることで、チョコレートが大量生産できるようになります。 このふたつが起こった結果、労働者にも手に取れる、手ごろな価格のお菓子となりました。 忙しい仕事の傍らに、甘いチョコレートを食べてエネルギーをチャージする。 そんなスタイルが多くの人々に浸透し、爆発的にチョコレートが普及していきます。 現在、「お腹がすいたら甘いものが食べたい」と思って、チョコレートに手を伸ばす方もいるでしょう。 たった100円でチョコレートを買い、片手で、もしかしたら歩きながらパパっと食べる。 そんな風にお手軽にチョコレートが楽しめるようになったのは、たった100年前のことなのです。 かつては王族や貴族など、限られた人しか食べられなかったチョコレートですが、 ようやく、たくさんの人の手元に届き、愛されるようになりました。

18世紀から現在:より高度な嗜好品へ

チョコレート工場で、大量生産のチョコレートが生み出される一方で、 町の小さなお菓子屋さんでは、ていねいなチョコレート作りが続いていきました。 工場で作られるチョコレートは砂糖やミルクをたっぷり使った甘~いものでしたが、 お菓子屋さんは『美味』を追求し、新しい形のチョコレートが生まれていきます。 1912年、ベルギーの『ノイハウス』というお店が『プラリーヌ』と呼ばれるチョコレート作りをスタート。 プラリーヌは固いチョコレートの中に柔らかいクリームが入っており、クリームとチョコレートのハーモニーが絶賛されました。 この『プラリーヌ』は瞬く間に世界に広がり、「ベルギーのチョコレートは美味しい」と思われるようになりました。 1978年、フランスの『ラ・メゾン・デュ・ショコラ』は、『ボンボンショコラ』に力を入れます。 『ボンボンショコラ』はさまざまなフルーツ風味の「ガナッシュ」を、チョコレートで薄くコーティングしたもの。 繊細な味わいのバランスが多くの食通の心をひきつけ、チョコレートを『お菓子』から『嗜好品』の位置へ高めたと言われています。 2007年、ニューヨークに開店したチョコレート店『マストブラザーズ』は、大量生産チョコレートしか知らない現代人に衝撃を与えます。 見た目は同じ板チョコレートですが、こだわりの原料選び・製造方法によって、市販品とはまったく異なる風味のチョコレートとなっていたのです。 『クラフトチョコレート』や『ファインチョコレート』と呼ばれるこのタイプのチョコレートに多くの日本人が感銘を受け、現在のようなブームが起こるきっかけとなりました。 これらのていねいに作られたチョコレートは、少し贅沢なおやつとして、高級なギフトとして親しまれています。 手軽に手が届き、とにかく甘いチョコレートがある一方で、 こうした『本当に美味しいチョコレート』もまた、多くの人に愛されているのです。   参考文献 『チョコレートの世界史-近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石-』中公新書,2013 『チョコレートの歴史』河出文庫,2017  
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